お久しぶりです。
全然更新できていないけれど、遊びに来てくださる皆様、ありがとうございます。
今日はアランじゃなくて、私の祖父の話を。
私は、小さいころからおじいちゃんっ子だったんです。
過去にも、アラン歴や『ウインター・ゲスト』観ました 感想・ネタバレありなどで、
祖父との思い出を語ってきました。
もう何年も前の記事だけど、どこに祖父とのお話を書いたか覚えてるよ。
そんな祖父が、先日亡くなりました。
95歳の大往生でした。
私は、小さい頃、
いつかおじいちゃん、おばあちゃんは、きっと私より先に死んでしまう、という事実に気づき、
それがいつかもわからないのに、怖くて怖くて、夜になるとこっそり泣いてしまうような
繊細な一面もある子どもでした。
きっと、それが、人生で初めて「死」というものを意識したエピソードだったと思います。
それでも、そのあと何十年にも渡り、
元気で生き続けてくれたおじいちゃん。
私が「死」という恐怖と対峙できるくらい大人になるまで、
いっぱい時間をくれたおじいちゃん。
私が生まれてから、その日までずっと、
おじいちゃんが存在しなかった時間はなかったんだ、
おじいちゃんの時間は95年間、途切れることなく続いてたんだ、
と改めて気づき、驚いています。
おじいちゃんが、私の日常の中に、当たり前にいてくれたことに慣れてしまっていたよ。
実家に帰ればいつでもおじいちゃんがいて、
テレビで一緒にお相撲を観たり、柿の種を食べたり、仕事のあれこれを聞いてもらったり、
たいした話はせずとも、同じ時間を過ごせたことのありがたさを、
今頃噛みしめています。
祖父は、激動の時代を苦労しながら生き抜いてきた人生だったのですが、
自分が大変だった話や、苦労した話、愚痴なんかは聞いたことがありませんでした。
ネガティブな気持ちからは、ひょい、と身を引いて、
さらり、と受け流すような柔軟で身軽なところは、私も引き継いでいきたいな、と思っています。
95年間、頑張って生きていてくれたのに、
明日も明後日も、この先もずっと祖父がいてくれるような気がしていました。
祖父がいる当たり前の日常がとても美しくて、
もう戻ってこないとは知りつつも、またその夢を見たいと思ってしまいます。
おじいちゃん、長い間ほんとうにありがとう。
おじいちゃんの孫でいられて幸せでした。
もしアランに会ったら、よろしく伝えてね。
おやすみ。